1953年発売の総合ビタミン剤「ビタベビー」の宣伝カーと当時の広告
第一三共の前身のひとつ、三共株式会社が1951年に発売を開始した風邪薬「ルル」(ルルに関するHistoryはこちら)は、その後、「くしゃみ3回ルル3錠」の広告や、製品改良やシリーズの製品拡充により、現在でもドラッグストアなどで販売されています。もう一方の第一製薬株式会社でも、同時期に発売を開始し、やはり数字を入れたキャッチコピーで広告に力を入れた薬がありました。総合ビタミン剤の「ビタベビー」です。
第一製薬が結核のために新しい化学療法剤「イスコチン」を発売した1952年、日本は「サンフランシスコ平和条約」の発効でGHQの占領から独立し、人々の消費が進み好景気となっていました。1951年にはラジオが、1953年にはテレビが民放となり、さまざまな企業がラジオやテレビを利用した広告宣伝を行うようになります。薬品業界でも、消費者が直接購入できるものを盛んに宣伝した医薬品「マスコミ商品」が次々に登場します。
第一製薬も、1953年5月に一般の方が購入できる総合ビタミン剤「ビタベビー」を発売します。
角型の瓶や、子どもが好むようなデザインを取り入れたビタベビー
ビタベビーは、変わりゆく日本の食生活やライフスタイルに合わせて健康に配慮した、10種類の必須ビタミンを配合した薬です。もとは製菓で使われていた糖衣錠の技術によって、小型の錠剤を糖衣で覆うことで、多くの方にとって飲みやすくし、薬品自体の変質も防いでいました。
ほかの製薬会社も総合ビタミン剤を販売しており、販売競争が激化。そのため、第一製薬は瓶を従来と異なる角形にし、箱は子どもが好むようなデザインに変更。さらには、景品が当たるクジがついた動物カードを封入し、「全国幼稚園新聞」を発行するといった工夫で、親子で親しんでもらおうと取り組みます。
成分を強化した「強力ビタベビー」
宣伝にも注力し、新聞や雑誌だけではなく、民放ラジオも大いに活用します。「坊やは一つママ三つ」というキャッチフレーズを作り、CMにのせました。続いてCMソング「ずずんとずんと」を放映。これは、戦後大ヒットした歌謡曲「リンゴの唄」や今も親しまれる童謡「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」などで知られる作詞家・サトー・ハチローが作詞したものでした。それ以外にも、屋外広告や宣伝カーで普及に努めました。
1958年には成分を強化したリニューアル品「“強力”ビタベビー」の発売に至ります。
ビタベビーはこのようにして、1937年に発売して以来、抗生物質が登場するまで重宝された国産サルファ剤第一号「テラポール」や、1949年に発売し爆発的人気を呼んだ血管強化・脳溢血予防剤「ルチノン」に続き、第一製薬の認知度を向上する医薬品となりました。
時代の変化に合わせ、病院に通う方だけではなく、より多くの方たちに日常的に使用してもらえる薬も生み出してきた第一製薬。その情熱や心意気は、今の第一三共にも受け継がれています。
ここでご紹介するのは第一三共ヘルスケアが販売しているビタミン製剤の一部です。第一三共ヘルスケア 肝斑・しみ/ビタミン・保険薬関連の製品についての情報はこちら
ビトン-ハイⓇ リッチ
新エバユースⓇEC
システィナCⅡⓇ
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