公益社団法人グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)は、マラリア、結核、顧みられない熱帯病(NTDs)などの市場性の低い感染症の治療薬やワクチン、診断薬などの開発を推進する日本発の国際的な官民ファンドです。第一三共は2013年のGHIT Fund設立時からの出資者であると同時に、研究開発活動に投資を受ける側としても同基金に関わっています。次々と現れ、広がり続ける世界の感染症の現状、その撲滅に向けて当社をはじめ日本の製薬企業はどのような役割を果たせるのか――。長年にわたって国際機関で感染症対策に最前線で携わってきたGHIT Fund CEOの國井修さんに、お話を伺いました。
第一三共 研究統括部長 髙橋 亘さん
適切な戦略と具体的な戦術・行動で、次のパンデミックに備えよ
第一三共は、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大を受けて、ワクチンや治療薬の研究開発を全社横断的に推進するタスクフォースを立ち上げ、2021年4月には感染症治療薬に対する研究開発の活性化を目指して「新興・再興感染症研究特別チーム(EReDS : Emerging and Re-emerging Infectious Diseases Research Special Team)」を創設しました。
髙橋:私たちは長年にわたって抗菌薬やインフルエンザ治療薬などの感染症治療薬を創出してきました。しかし、感染症治療薬は利益率が低く、また、先進国では衛生環境の改善で感染症そのものも減って
いたので、この10年間ぐらいは徐々に縮小していました。こうした中でのCOVID-19の流行で、初動時に何もできなかった反省からEReDSを創設しました。チームとしても早速、GHIT Fundと情報連携をし、意見交換を始めました。
國井:ワクチンや治療薬など新しいツールが出てこないと、SDGsの目標年である2030年までに感染症を終わらせることは難しいのです。私自身、COVID-19や将来のパンデミック、その他世界中に存在する感染症への対応で貢献したいと考えるようになり、GHIT Fundに入りました。日本の製薬企業は良い技術を持っているので、ワクチンも含めた創薬に期待しています。
高橋:今回のCOVID-19で、製薬会社の社会的責任を改めて実感しました。日本の製薬企業として、有事の際の体制を組んでおかなければならないと強く感じています。
國井:その通りですね。体制の構築は平時にやっておかなければできませんし、日ごろから戦略を練っておかなければなりません。一方で、いくら戦略があっても、戦術と行動が伴わなければ意味がありません。一つの目標に向けたビジョンの上に、適切な戦略が1割、あとの9割はどのように戦術を組んで行動していくかだと思っています。
COVID-19のワクチンがなぜあれほど早く開発され、普及できたのかを振り返ると、製薬企業1社や1カ国ではとても無理で、国際機関と複数の国・地域の行政、複数の製薬企業といった、オールプラネットで頑張ったからこそできたのです。ですから、日本企業もどんどん海外と繋がり、その際にぜひGHIT Fundを使ってもらいたいのです。世界では、次のパンデミックが起きた時に100日以内でワクチンなどの研究開発を行うという野心的なゴールが掲げられています*が、オールジャパンだけではこの最初の100日間に対応できません。次にパンデミックが起きた時、すぐに動けるメカニズムを今から作っておかなければなりません。
地球環境と人間の健康を総合的に捉えるプラネタリー・ヘルスへ
私たちは、いまだ収束を見ないCOVID-19や次のパンデミックに関心を向けがちです。しかし、地球温暖化などの影響で、従来からの感染症や顧みられない熱帯病(NTDs)も今後、私たち人間の命運を左右しかねない状況となっています。
髙橋:地球温暖化によって、日本でもデング熱が上陸間近などと言われています。感染症やNTDsは今後、どうなっていくのでしょうか。
國井:1970年以降、新興感染症は世界でほぼ毎年のように生まれています。なぜ感染症が発生するかと言えば、7割程度はいわゆる自然界からの漏出、多くは動物を介しています。次に人口増加で、人が密集する都市化が人への感染を誘発します。蚊を媒介とした病気が増えていて、都市から都市、地域から地域、さらには国を超えた移動で世界中に感染症が広がりやすい状況になっているのです。
これらの要因に加えて、現在はグレート・アクセラレーション(Great acceleration、人類活動の急加速)による環境への負荷が増大しており、感染症の伝播に拍車をかけています。ワンヘルスいう人間と動物、生態系の健康を含めて一つの健康とみなす考え方がありますが、これからはプラネタリー・ヘルスいう形で地球の健康とサステナビリティを踏まえながら、人間の健康を総合的に考えていく必要があると思います。
実は、アフリカ諸国など一部地域ではCOVID-19よりもエイズや結核で死亡する人のほうが多いのです。しかし、これがなかなか伝わっていません。日本でも、西ナイルウイルスやマラリアを媒介する蚊はすでに北海道や東北にまで来ています。地球温暖化は他人事ではありません。
日本の技術で“顧みられない人々”を救うために
世界に広がる感染症やNTDsの撲滅には何が必要なのか――。國井CEOは、パートナーシップによるビジネスモデル構築や創薬開発の必要性を訴えます。
髙橋:これからの人口増加はサハラ以南のアフリカ地域が中心です。製薬企業として感染症にしっかりと参画するのであれば、それらの地域の人たちと一緒に事業を作りながら、彼らの自立を助けられるように取り組むべきだと考えています。国際貢献として、さらにはBOP**を対象としたビジネスとしても、こうした地域に薬を届けることは私たちの使命です。
國井:どのようにして現地の人たちの自立を後押ししていくかは重要ですね。それと同時に、アフリカにはGDPが2ケタ伸びている国々もあるので、単に国際支援としてだけではなく、しっかりとビジネスとして取り組んでいただきたいです。
私はアフリカで医療支援に携わり、薬がないと何もできないことを痛感しました。診療所に到着できない人もたくさんいました。ラストワンマイルで最も必要としている人たちに医療や医薬品を届けなければならないという思いは、人一倍強く持っています。
アフリカには、病院はないけれども薬局はあるような地域がたくさんあります。ニーズがあるからですね。良い薬をつくり、薬局をフランチャイズしてきちんと整備し、処方も含めた教育を行えば、都市部から離れた地域でも薬は必要とされます。ただ、必要な人に届ける、という面では、物流も含めたさまざまなパートナーとの連携が必要となるはずです。これからは医師・看護師教育だけではなく、画像診断やドローンを使った薬の配送など、デジタル技術を使ってすみずみに行き届けられるビジネスモデルが求められます。
髙橋:アフリカはスマートフォンの普及率も高いですね。リモート診断ができる環境はあるので、あとはどのように薬を処方するかです。日本では考えられませんが、他の国では個包装で薬を提供するというのもあります。われわれが想像する以上の需要があるかもしれませんね。
國井:これまでの経験から、まずは動いて現地の人々を救うことを示せれば、資金は付いてくることは分かっています。ただし、研究開発は難しいですよね。利益が出ない薬を企業としては作れません。GHIT Fundは、官民を繋げてそのインセンティブを作っていく役割を担っていると考えています。
2000-2011年に開発された新規化合物のうち、熱帯病向けはわずか1%でした。この割合を上げていきたいです。GHIT Fundのスタッフはわずか20人。私は、研究のステージを高めて早く現場に製品を持っていけるようにするにはどうすればいいかを毎日考えて、と彼らに伝えています。
第一三共さんからはGHIT Fundに資金援助をいただいていますが、技術的な部分も含めてパートナーシップを深めていきたいと思っています。今持っている技術をどのようにすれば感染症に使っていけるのか。AIなどを使って皆さんが持っている化合物をどのようにすれば的確に見つけられるか。うまく進めていくために何をすべきか、ぜひ一緒に考えていきましょう。
髙橋:ありがとうございます。GHIT Fundを活用して、私たちの持っている技術でオールプラネットを視野に入れながら、社会に貢献すると同時に会社の利益と成長に繋げられるようにしていきたいです。
- *2021年6月開催のG7コーンウォール・サミットで合意された100日ミッション(100 days mission)のこと。新しい感染症の確認から100日以内にワクチンを開発することを目指す。
- **Base of the economic pyramidの頭文字。年間所得が購買力平価ベースで、3,000ドル以下の低所得層のことで、開発途上国を中心に、世界人口の約7割を占めるとも言われている。
EReDS主催でGHIT Fund・國井CEOの講演会を開催しました
國井CEOのご講演に聞き入る参加者。
2022年7月、EReDS主催によるGHIT基金・國井CEOの講演会を品川研究開発センターで開催しました。
当日はオンラインも含めた120人の参加者が集まり、國井CEOからはアフリカでの豊富な医療活動を通じた医薬品アクセスの重要性や、COVID-19パンデミックが示した官民連携の重要性、さらにGHITの意義や今後の展開など、熱のこもったお話をいただきました。
参加者からは多くの質問があり、講演後は「感染症領域は当社の強みのはずで、外部資金やパートナーシップもうまく活用して、世界の健康に貢献する方策を考えるべき」といった感想が聞かれました。