ADC研究チームメンバーになったことが阿部さんのキャリアの転機でした
我妻:ADCはペイロードやリンカーなど、多様な専門性を集積した研究領域です。そのため、勉強会ではしばしばそれぞれの専門性を武器に、激しい議論が展開されました。真剣だからこそのぶつかり合いです。そうした議論を経て次第に互いの専門性への理解も進み、徐々にお互いの専門性を尊重する気持ちが育まれていきました。そうとなれば研究者同士ですから、自ずとベストなものを追求するコンセンサスが芽生え、クロスファンクショナル・チームとして機能していきました。阿部さんも、自身の低分子化合物研究の経験を生かしてチームの要として活躍してくれましたし、3年目からは抗体医薬研究所チームのリーダーのほか、研究チーム全体のとりまとめもしてもらいました。
阿部:熱意があるからこそ、メンバー同士の意見がぶつかって、しょっちゅう激しく議論していました。みんなそれぞれの専門性を背負って立ち、真剣でした。多様な専門性を集積したADCには従来の医薬品開発と違った難しさがあります。数多くの提案から最も良い物を選び出してテストしていくのですが、それは非常に手間のかかる作業でした。研究が大きく前進したのは、旧社時代に他社と共同開発した悪性腫瘍の医薬品に由来する物質にADC化のペイロードとしてのポテンシャルを見出したことでした。ペイロードと抗体をつなぐリンカーを数多く合成して、ベストな結果を求めて評価を重ねていきました。
我妻:粘り強く取り組んでくれた結果、阿部さんたちのチームは、非臨床試験において他社競合品を遙かに上回る薬効を示すデータを示してくれました。それを見て、研究チームのメンバー皆が小躍りして喜び、またお互いを祝福し合いました。まさに第一三共に息づくものづくりへのこだわり、職人気質の成果だと私は思いました。
そして、それは間違いなく素晴らしいチームワークの成果でもありました。誰かの指示に従って動くのではなく、立場も年齢も関係なく現場の研究者が膝をつき合わせて、サイエンスの見地から『こんなデータが出たからこっちをやってみよう』と自らの意思で動いて生み出した結果なのですから。
このADCプロジェクトは、私にとって わが社の研究ポテンシャルの高さを再認識する機会にもなりました。
ADC創生の想いと知見は次代へと続いていく
我妻: 私たちのADC研究開発の成果は、HER2を標的とするADCを生み出したことだけではありません。低分子創薬や抗体創薬とは異なるADC研究開発の技術基盤を社内に作り上げたことに大きな価値があります。研究プロセスの確立には各部門のチームリーダーが大きな役割を果たしました。
阿部:研究チームは最初から、複数の当社独自のADC品目の創出を目標としていました。そのため次の品目の研究開発のために、ADCに共通するプロセスを作っておこうという考え方を各チームリーダーが共有していました。また、研究者を支えるマネージメント層の情報共有のためにつくった ADC連絡会は、必要な研究項目の洗い出しからはじめ、個々の研究者が仕事をしやすいように明確なタイムラインを導き出し、ADC独自の研究プロセスを作りあげていきました。
当時のことを語り合う我妻さん(左)と阿部さん(右)
我妻:現在、第一三共では3つのADCを中心とした最重要戦略「3 and Alpha」を着々と進めていますが、それも試行錯誤しながら作り上げた研究プロセスがあってこそ可能となったといえるでしょう。また、独自の研究プロセスを作ろうという精神は、3ADC、他の同じペイロードを有する ADC品目にとどまらず、我々の研究の強みに繋がっていると思います。
阿部: ADCの研究開発に携わる社員は、当時と比べて倍増しています。HER2を標的とするADCで成功体験をした研究者は当時20代で、まだ30代の人も少なくありません。これから彼らが「3 and Alpha」を牽引していくわけです。
我妻:彼らは40代、50代の先輩と対等に議論してくれてとても頼もしかったです。また、先輩の知識・経験がしっかりと次の世代に引き継がれる機会にもなりました。今後、ADC研究の柱となってくれるだろう会社の大切な資産であり、強みです。
阿部:研究の初期から我妻さんとは「メンバーが出身会社を意識することなく、ADC研究を通して一つになっていけばいい」と話し合っていました。
ADC研究チームは目的に向かって、年齢も、出身会社にもとらわれない、本当のONEチームが育っていきました。それは我妻さんのマネージメント手腕だと思います。
私は、創薬というものは天才の仕事ではなくて、経験を重ねていくことで成功に導かれる仕事だと信じています。まさに職人気質。それゆえ今後は、自分の経験を活かして次世代の人材育成や創薬の成功率を高めるマネージメントにも挑戦していきたい。患者さんに新しい薬を届けるための新しいイノベーションを起こしやすい環境作りを考えていきます。私たちの元には、世界中の医療機関を通してHER2を標的とするADCで良くなった患者さんからの感謝の声が寄せられています。それがまた次のチャレンジに向かう大きなモチベーションになっています。今回は、我妻さんと私が代表してADCのサクセスストーリーをお話しましたが、実際には相当な数の研究者と関係者の方々の努力があったことを広く知っていただきたいと思います。私も関係者全員に感謝の気持ちしかありません。HER2を標的とするADCには本当に多くの人の想いが詰まっているのです。
我妻:創薬という仕事は決して一人ではできません。しかも、きわめて難易度が高い仕事。だからこそやりがいが大きいのです。私たちは、多くの患者さんの生命を救うという使命感をもって、多くの仲間と力を合わせて新しいことに挑戦し、創薬というグローバルで形に残る仕事ができます。研究畑の人間としてこんなに幸せなことはありません。
社内の研究者の皆さんには、革新的な新薬を生み出してきた第一三共の創薬の遺伝子を引き継ぎ、5年、10年、いや100年先につながりうる仕事に誇りと熱意を持って取り組んでいただきたいと思っています。