Backstory01 ADCで目指す、がん治療の未来(前編)

2人の集合写真
執行役員、研究開発本部 研究統括部長 我妻利紀Toshinori Agatsuma
研究開発本部 研究統括部 研究イノベーション推進部長 阿部有生Yuki Abe
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第一三共のADC(抗体薬物複合体)技術は、グローバルでも評価され、世界中のがん患者さん達の希望となっている。新しい医薬品を生み出すまでには非常に長い期間を要するといわれ、ADC技術開発に関しても、例外ではない。そんな中、第一三共が5年弱という通常よりも短い期間で開発にこぎつけたのは、なぜだろう。そこには数知れない人々の努力があるはずだが、研究開発に携わる人たちの姿は、あまり知る機会がない。そこで、「サイエンス。それは、希望」制作チームは、ADCの研究者たちに話を聴くことにした。

技術を磨き、経営層を説得

「新しい医薬品を開発できたら、たった一粒、一本の注射で多くの命が救える可能性があるのです」。
第一三共におけるADC技術開発の創始者、我妻利紀さんは目を輝かせる。6歳の時に白血病で父親を亡くし、幼少期から、がんに苦しむ人々を救いたいという思いを抱いてきた。身近な人の病気をきっかけに、医師への道を選ぶ人は少なくない。しかし、あえて薬学の道を選んだのは、目の前の患者さんだけでなく、もっと多くの人を救いたいと考えたからだ。

大学院で修士号を取得したのち、当時の三共株式会社(2007年に第一製薬株式会社と統合)に入社。医薬品開発に強みを持つ三共は、創薬研究を志す我妻さんにとって大きな魅力だった。

入社後3年目には海外の政府外公共研究機関へ出向。帰国後は国内の大学関連研究機関に出向し、さらに創薬研究に必要な技術を高める機会を得た。
「自分のスキルを高められる環境に恵まれ、世界で戦える可能性が広がりました」

社外とのコミュニケーションの機会も広がり、多くの研究者とのディスカッションを重ねる中で、我妻さんはADCにつながる抗体医薬に可能性を感じた。しかし、この領域は生産設備に50億円、100億円の投資が必要になる。当時は開発が難航する企業が多かった。それでも、さまざまな状況証拠から「自分たちにはできる」という確信があった。経営層を説得し、研究推進への理解を得て、ADC開発のスタートを切った。

我妻利紀
ADC

垣根を超えたチームワーク

ADCの開発は、その可能性を信じた我妻さんと、専門性の異なるメンバーからなるワーキンググループにより進められた。

「声をかけて参加希望者を募り、やりたい人が集まって勉強会を立ち上げる形を取りました。当初は社内でも、当事者以外でプロジェクトが成功すると思っていた人はほとんどおらず、何かやっているな、という程度だったと思います」

勉強会は、どんどん発展し、最終的には20人を超えるメンバーから成るチームとなり、研究がスタートした。

「メンバーに共通していたのは、良い薬を作りたい、患者さんに貢献したい、という思い。何とかしてがんで苦しんでいる人を救いたい、という目標が明確にあったからこそ、成功にたどりついたのだと思います」と話すのは、研究チーム全体のまとめ役として貢献した、阿部有生さん。阿部さんもまた創薬への熱い情熱をもつ研究者のひとりだった。

※所属等は掲載当時の情報

我妻利紀

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